一物一価の法則と裁定取引とは

ネットでビジネスをすることにおいて非常に重要な知識として「一物一価の法則」「裁定取引」というものがあります。

「裁定取引(さいていとりひき)」とは、例えば、ある場所では豊富に存在していて安い商品が、ある場所では極めて貴重で高値で取引されていたとします。
その事実を知っていれば、安いところで買い、高いところに持って行って売るだけで、利益を得ることが可能となります。

日本のビジネスモデルが正にこれですよね。資源が乏しい日本は、資源を輸入し加工を施し海外へ輸出することで利鞘を稼いでいます。

例えば、日本のような水資源が豊富な地域では水は希少性が乏しいため極めて安価です。
しかし、この水を砂漠のような水の希少性が高い地域に運んでいけば、高値で売ることができます。

金融の世界でも同様な取引があり、金利の低いところで金を借り、金利の高いところで貸し出せば、元手が少なくても多額の利益を手にすることが出来ます。
これをレバレッジと呼びます。

このような取引が行われた結果、価格(金利)の低い市場では需要増大で価格(金利)が上がり、価格(金利)の高い市場では供給増大で価格(金利)が下がり、次第に価格差や金利差が収斂(しゅうれん)していきます。
価格が収斂していくこの過程を一物一価(いちぶついっか)の法則(「自由な市場経済において同一の市場の同一時点における同一の商品は同一の価格である」が成り立つという経験則)といいます。

同じ品質(財の同質性)の二つの商品に異なる価格が成立していることが知られている(完全情報)場合、両者の価格差は裁定取引の対象となります。
裁定取引の対象となるまでは、分断された別々の市場として別の価格がついていても、対象となれば価格が収斂していくので、裁定取引には市場の接続、あるいは拡張の効果があることになります。こうすることで、より必要なところへ必要なものが供給され経済の資源配分が効率的になります。

もっと簡単に説明しましょう。砂漠の街と雨の街があり隣接しているとします。商品として水を売ることを考えます。
当然、雨の街では水は珍しくないのでタダ同然です。一方、砂漠の街では水がほとんど降らないので大変貴重なのです。雨の街から砂漠の街へ水を売ると儲かります。これが話の骨子です。

しかし、雨の街と砂漠の街の間で水道パイプができたらどうなるでしょうか?
豊富な水が雨の街から砂漠の街に流れるので、もはや砂漠の街では水は珍しいものではなくなるかもしれません。珍しくなくなると、水の価値は雨の街と砂漠の街とでほぼ変わらなくなってきます。これを収斂(しゅうれん)と呼びます。これが2つ目の骨子です。

ポイントは、例えば、生産コストが安い中国などから安い商品を仕入れても、市場で価格の収斂が起きるため、日本国内では大して高くは売れない、ということです。

そこで、解決策として2つあります。

1つは、中国などから商品を安く買い付けるバイヤーとなって一抜けで利鞘を獲得すること。
1つは、市場で価格の収斂を起こさせないこと。

前者は経済的にも労力的にも難しいので、段階的には最終段階に近いビジネス形態ですからひとまず置いておきましょう。 狙いは後者の「市場で価格の収斂を起こさせないこと」です。

具体的には、例えば中国から生地を輸入したとします。生地は一次材料ですので、二次加工が可能です。
一次材料に二次材料を加えて、二次加工することで、元々の生地以上の価値が生まれます。

これがオリジナルであれば、裁定対象とはなりにくいため収斂も起こりにくいことになります。もし完全に完成品だとすると、二次加工は不可能なので日本での販売は価格差だけが勝負となります。
当然、もっとも安く仕入れて安く売った者へと収斂していくことになります。

普通、小売をやろうとする人ができること、というのは完成品を仕入れて価格を調整して売るだけです。
これではネット時代では、裁定取引の対象となり価格収斂には勝てません。
特にネットであれば最安値の検索は簡単なので、同メーカーで品質が同じであると担保されていれば、一番安い場所で買うのが合理的な選択となります。
価格comやヤフオクがいい例でしょう。

逆に言えば、収斂さえ起こさせなければ、仕入れで多少高く付いたとしても、価格を下げる必要がないので利鞘で儲かる、ということです。高く売れば、仕入れは多少高くても構わない、ということですね。
この方法であれば、中国などから商品を仕入れるために代行業者(バイヤー、卸)を通じて流通マージンを取られても問題がないのです。

商品価格を収斂させない反対のことを「付加価値」と呼びます。
同じ商品ならばどこで買っても同じだけれど、違う商品ならば選ばざるを得なくなります。
例えば、腕の良い歯医者と腕の悪い歯医者がいたとしたら、多少金額が高く場所が遠かったとしても腕の良い歯医者を選びたいものです。

言ってみれば、ネットで残るのはこの付加価値が分かりやすく出せるものか、原資がほとんど掛からないビット経済(情報系)だということです。
なぜこのようなものだけが残るのかというと、そもそも世界が幻想だからです。

人間の脳というのは意識を持っていますが、頭蓋骨からは出ることはできません。外界を感じることはできますが、それはあくまでも神経伝達による仮想でしかないのです。
脳内を走るニューロン細胞同士を繋ぐネットワークは微弱な電流ですが、電流には良い電流も悪い電流もありません。

世界は確かに存在しているかもしれないけれど、それを感じる内的世界というのは対称ではなく、意識の保証外だということです。ズレがあるのです。これが個性となっています。
脳の構造として、見たものや触ったものそのものが脳に伝わるのではなく、情報として置き換わったものが伝わるのです。その証拠にクスリで遮断できます。クスリで遮断すると外の世界はなくなりませんが、自分の世界は虚ろになります。そういった意味でいうと脳は不完全です。

そのため、脳が作り出している世界もまた脳構造と近い形へと置き換わっていきます。
最後に残るのは「情報系」「違いの違い」しかないのです。

実際、経済的な大きなシェアを占めているのは情報金融です。株価や為替は典型的な情報系で実体はありません。そして、その信用と担保の源泉は人なので、疑心暗鬼になると上がるか下がるかの予測は難しく、「違いの違い」に敏感に反応します。

例えば上場企業が不祥事を起こしたとニュースで報道されれば、株価が下がります。
これは、違いの違いを伝えるメディアによって付加価値が書き換えられたともいえます。本当の実体がどうあるかというのは関係なく、確かめる術もないので、影響力が強いのです。
古典的なビジネスとしてたくさんの情報を扱うマスメディアが一世を風靡し、一大グループを築けた理由は、モノを等価交換していたわけではなく、付加価値を操作し、違いの違いによって世間を動かすことができたからと言えます。

【引用元 goo Image】


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